エロマンガに明確な定義はできない

2010/05/13

ならば、日常的な抑鬱気分と病的な抑鬱気分とを見分けるマニュアルでもあれば、患者さんにとっても受診への覚悟がついて良いではないかといった発想がうまれてくるであろう。ところが実際にそうした判断基準を作成してみようとすると、何だか陳腐で底の浅いものしか出来てこない。例外が沢山出現してしまう。実用にはいまひとつ堪え得ないのである。
すなわち、普遍的なことと特異なこととを見分ける明快な目安を記述することは容易ではない、といった話である。そこを何がなんでも記述しようとするなら、おそらくそれはひたすら文学に近いものとなってしまうだろう。
精神医学が抱え込んだ曖昧さや胡散臭さは、そんなところにも見出されるのである。
「心という不思議」春日武彦、角川文庫P41

この前段に“正常と異常との境界線といった話はしばしば尋ねられるし、わたしも自分の本の中で繰り返し語ってきた。結論だけ言っておけば、一本の境界線があって精神科医がいわば線審の役割を果たすものではない。”と述べられている。
知られているように現在、精神科の診断では精神疾患の診断・統計マニュアル、所謂“DSM-IV”が広く用いられているが、これには(精神科医としての)研修を受けていない人間による機械的な適用の禁止が明示されており、専門家以外の使用は禁止されている。この大事な注意書きを知らなかったり、意図して読み飛ばす人間が多いのが実情だが、これはあらゆる意味で危険であり、害悪でしかない。
さて、前にエロマンガってなんのこと?という記事でこれまでのエロマンガについての了解から、はみでるような事例がいくつも出てきていることを書いた。引用した春日医師の文章の“抑鬱気分”をマンガに、“病的”をエロに変換して今一度読み直していただければ、エロマンガというものを考えるのに役立つと思うだがいかがだろうか?
精神疾患が存在するのが疑い無いように、エロマンガというものも絶対に存在しているのだが、では普通のマンガとの違いを一般化しようとするとまさしく、“陳腐で底の浅いものしか出来てこない”ことは非実在青少年をめぐる東京都担当者の言動が証明している。
重要なことなので度々いうが、表現の問題については個別の事件ごとに対応すべきであり、それ以外に解決の方法は無い。そして、その際には社会政策についての専門家である役人や有識者に加えて、マンガについての専門家である漫画家・編集者・出版社の代表を加えなければ、妥当な判断が出来ないことも付け加えておきたい。
多種多様な人間を描くマンガには、当然にエロスの要素も含まれる。また、チャイルドポルノを含むすべてのエロが社会通念上認められていない以上、ある一定の範囲を超えたものについては未成年者は見ることが出来ないようにする、というのは恐らく多くの人々が賛成するだろう。
ただ、この一定の範囲というものは時と場合によって揺れ動くものであり、機械的な判断のかなわないものである、という人間性の理解についての謙虚さを特に立法者に求めたい。良いものをつくりたい、という欲求は法律の世界にもあると思うし、そのための姿勢は他のものづくりとさほど違わないと確信している。

心という不思議
春日武彦
角川文庫
2006/01/25
480円

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