切り裂きジャックの国から

2009/06/12

イギリスにおけるレイプレイ事件とその社会的背景について

いうところのJack the Ripper事件が起きたのは1888年のことだ。
いまから122年前のことになる。
当時の最新技術である銀塩写真によって撮影された被害者の遺体は、今日でも正視に耐えるものでは無い。
以来、ロンドンは性的陵辱殺人事件において、常に最先端を走り続けている。
人権の進歩と人間陵辱の過激化という、相容れないものが共に歩む社会というのはなるほど存在している。
さて、
2006年、奇しくもレイプレイ(Rapelay)発売の年に書いたblog、疫病・検疫・対症療法がレイプレイ(Rapelay)事件を考える上で参考になることを発見して、我がこと故に少し自慢したい。
さらに特殊事情に対する説明責任を読んでいただければ、この問題を日本だけのものとして考えてはならないことを解っていただけるだろう。
日本文化の都合の良いところだけ見せて、外聞の悪いところは頬被り出来る時代ではないし、さらにいうと大抵の人は都合の悪い話を聞きたがるものだ。
ところで、

無知、偏見、個人的復讐心、スキャンダル議員の保身、黄禍論に私たちがふりまわされていたとすれば、とんだお笑い草だ。
そんなものに歴史的芸術や国際的なメディア芸術が汚され、優秀な表現者が筆を折るなどということが起きるとしたら、これほど虚しく悲しいことはない。

冒頭に引用したハイクの最後の部分だが、はっきり言って蛇足でしかない。
というか、この最後の部分のおかげで全体の内容を、まったくダメにしてしまっている。泥の中にワインを加えたものは泥であり、ワインの中に泥を加えたものもやはり泥である、ということわざはまっくその通りだ。
いうまでもなく「黄禍論」の部分を、「白人」・「中国」・「朝鮮」に代えれば日本の状況とまったく同じだ。
さらに「歴史的芸術や国際的なメディア芸術」の部分に至っては噴飯もので、「芸術」をやっている人から一緒にするなと本気で怒られるはずだ。
前に書いたことを三度引用する。

私は児童ポルノの単純所持の違法化を阻止したい、というポジションをとっており、そこから表現の自由に対するすべての規制に反対を唱えている。
一方で「【解説】エロマンガ関係者の方へ、児童ポルノについての発言はしないでください。」に書いたことをあえてくりかえすが、本来ポルノというのは、本屋の奥の方の棚にあって、手に取る客は店員から胡乱な目で見られる類のものだ、とも考えている。

こんなゲームをやってることを母ちゃんに知られたらきっと泣かれるだろう、ということに考えが及ばない人間はポルノに手を出してはいかん。
ポルノに関わる時には常に後ろめたい、お天道様の下を笑って歩けない、そんな気持ちを持ち続けていないとバチが当たるぞ。
…。
そんなろくでもないものを抱え込むことを私は“業”とよんでいる。

トップページへ

inserted by FC2 system