素手で空気をつかまえられるか?

2007/08/29

「肌色」は差別用語なので「ペールオレンジ」に変更済み

「素手で空気をつかまえられるか?」
差別用語の話を聞く度にこんな疑問が浮かぶ。
オーウェルの「1984年」を初めて読んだ時には、その可能性が大いにあると思い至って恐怖したが、数年後「ソシュールと言語学 (講談社現代新書)」など言語論関係の入門書によって眠れぬ夜は無事解消した。
更にそのおかげで言葉を改めることへの躊躇がなくなり、盲人を目の不自由な人、白痴を脳の不自由な人という様に平気で書き換えるようになった。おかげでただでさえ摩擦の多い社会生活がいくぶん楽になったことを告白する。
私ごとになるが、私は自分のことを気違いと呼んでくれた方がしっくりくるのだが、相手の世間体のこともあるので、精神の不自由な人といわれることを甘んじて受けている。
「肌色」という言葉が商売上不都合ならば、「ペールオレンジ」なる外国語に置き換えることは当然のことだ。些末な言葉尻をとらえてやれ差別、差別と言いがかりをつける精神の不自由な人をいちいち相手にしていられるほど、商売人は暇ではないのだから。
「肌色」のクレヨンが欲しい人には、差別用語といわれたので名称を改めた旨をつたえて、「ペールオレンジ」のクレヨンを売ればよい。説明を受けてもさらにごねる人間はやはり精神の不自由な人の可能性が高いので、不安なら「肌色」というラベルを用意しておけば事足りる。
こんな事を書いていると、言葉の生命力についてあなどっていると思われるだろうが、むしろ逆だ。私は元々は田舎者であるので言葉のしぶとさというものについて、色々な場面で痛感することが多かった。
この感覚は古い土地で生まれ育った人にはすぐに納得して貰えると思うのだが、首都圏ではなかなか通じにくい。しかし、古い土地を役所、会社、そして業界などに置き換えてもらればあるいは解って貰えるかもしれない。
閉鎖的・タコツボ的な“村”の中で内々で使われる言葉の中には、とてつもなく古い物があってしばしば驚かされる。個人的には言葉というのは世間から抹殺され、内々で使われるようになったものほど長生きするように感じるのだがいかがだろう?
そして、世間から差別用語が無くなるかもしれないという、心配性の人は2ちゃんねるやmixiをご覧頂きたい。そこでは毎秒ごとに誹謗中傷のための言葉が産まれ流通しており、この先幾つかは「肌色」の様に立派な差別用語として規制されるだろうが、それをはるかに上回る膨大な言葉によってこれからも豊かな言語生活を送ることができるはずだ。
蛇足になるが、従来の差別用語より2ちゃんねる用語の方が下品な感じがするのは何故だろうか?。

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